回復の道の備え

私が牧師として教会に仕える中で課題として感じていたことは、救われたクリスチャンが様々な理由で教会を去って行かれることと、依然としていやされていないかのように見えることでした。そのような思いの中にいた時に、エリヤハウスを紹介され、私は奈良での祈りのミニストリースクールに導かれました。でも、そこでは“自分自身”がまだまだ多くのいやしを必要としていることが明らかになったわけですが、その出来事についてお証しさせていただきたいと思います。

 スクールでの、あるグループタイムの時に、私は祈る側の役割を担当していました。私は、自分が祈るべき方のお話を聞いている内に、何と私自身の涙が止まらなくなってしまったのです。それも、ハラリハラリと流す涙ならまだしも、まさに号泣してしまっているのです。ですから、もちろん祈りに導くことも出来ません。「恥ずかしい。みっともない」そんな思いの中で、しかし涙を止めることも出来ず、グループ全体も困ってしまっていました。結局、その時にやって来られたファシリテーターの先生に、そのミニストリーをお委ねすることになったのですが、そこで私自身が祈られる中で、ある一つの思い出が甦ってきました。それは小さな頃に見た覚えのある、日付に丸印が書き込まれたカレンダーの光景でした。

 私は小さな頃に泣き虫で、毎日、それはもう本当に些細なことで泣いていたのですが、私があまりに毎日泣くものですから、母が“耕史が泣いた日”として丸を付けていたのです。そのカレンダーが鮮やかに見えたのです。私は小学4年生のあの日、母に「男が泣くことはみっともないこと」と言われたことを受け止めて、「もう泣かない」と堅く誓ったことを思い出しました。それ以来人前で涙を流すことはほとんど無くなった私でしたが、聖霊様はそこを取り扱いたかったのでしょう。そして、後日“内なる誓いと石の心”の講義を学びましたが、その石の心がもたらす悪影響を知ってびっくりしました。まさしく自分そのものだったからです。けれど、その悪影響をすでに家族の中に、また教会にも与えていたことに気付かされたことは、辛いことでした。

 しかし、確かに回復の道が備えられていることを神様に感謝します。今後さらにエリヤハウスの働きが用いられ、家族や教会が回復し、主の栄光が現されますようにと願っています。

 名古屋グレイスキリスト教会 牧師 藤田耕史

神の愛を実感
祈りのミニストリービデオスクールを開講して

 私がエリヤハウスと出会いましたのは、2004年7月でした。本郷台キリスト教会の月井先生から、「小グループを導入するなら、いやしのプログラムを持つ必要がある。ぜひ、エリヤハウス祈りのミニストリースクールを受講すると良い」と勧められ、片柳福音自由教会で受講することになりました。クラスの内容は具体的でとてもわかりやすく、私の心にどんどん入ってきました。しかし、グループタイムでの実践が難しく、もやもやしたままWeek1を終了しました。

  間もなく、そのもやもやした思いから解放される時が訪れました。教会見学に行った手稲キリスト教会(現グレースコミュニティ)で、祈りのミニストリーをしていただく機会に恵まれました。その時の私の課題は、「リーダーシップを大胆に取れない」というものでした。祈りのミニストリーの中で、末っ子の私と3人の兄たちとの関係をお話ししました。十分に話を聞いて下さった後で、祈り手の方が、「弘さんは、リーダーシップを取りたかったんですか」と聞かれました。私が「そうかもしれません」と答えると、これまでずっと我慢してきたものが一気に噴き出てきて、涙が止まらなくなってしまいました。ひとしきり泣いた後で、「リーダーシップを取ってはいけない」という誓いを立てていたことを悔い改めました。「弘さんのリーダーシップを祝福して下さい」と祈っていただいた時には、うれしくてまた泣けてしまいました。この時、心のいやしと解放を与えてくれる祈りのミニストリーの素晴らしさと、信徒の方のこのような働きに感動を覚えました。

 その後のスクールで、両親との問題、権威の問題、拒絶の問題等、多くの問題を取り扱っていただきました。また、家内もスクールの学びを終了し、二人で祈りのミニストリーに当たるようになりました。しかしながら、私たちの働きが忙しくなり、皆で手分けしていかないと、必要が満たしきれないという事態が起こってきました。働きの広がりのためにも、教会員に理解を深めてもらうためにも、思い切って祈りのミニストリービデオスクールを開講しようということになりました。 当初、「十分な人数が集まるだろうか」、「メンバーたちが一週間も時間をあけることができるだろうか」、「私たちにできるだろうか」等々の心配がありました。
 
しかし、神様は、私たちの祈りに答えて、学びを必要としている人たちをお送り下さり、スクールを祝福して下さいました。Week1では、少し堅かったスクール生同士の交わりが、Week2では互いに打ち解け、神様に素直に心を開くことができるようになりました。人の前で泣くことのできなかった人が素直に感情を表して泣くことができ、人に対して心を開けないでいた人が心を開き、神の愛を実感できなかった人が神の愛を実感できるようになるという様々な恵みに預かることができました。スクールを開かせて下さった神様に心から感謝しています。また、私たちの教会が、少しは他の教会のお役に立つことができましたことにも感謝しています。今後、Week4まで開講でき、信徒の祈り手が生み出されるなら、これ以上の喜びはありません。続いて、私たちのスクールのためにお祈り下さい。
桐生キリスト教会牧師 杉崎 弘

祈りのミニストリーによる主の恵み

 私も6年ほど前にエリヤハウススクールを受講しました。そのスクールをとおして、今まで読んではいても、その深い意味に届くことがなかった多くのみ言葉が解き明かされ、目が開かれた思いでした。もっとも、受講前の心と霊の備えとして紹介された推薦図書の「内なる人の変革」(サンフォード師著)を読ませていただいた時にも、私にとっての謎がいくつも解き明かされました。信仰生活をおくる上で、また牧師として教会を牧会する中で、うまくいかない場合にその原因がどこにあるのか、そしてそれはどのように解決すべきかが的確に教えられていることに驚きを覚えたほどです。現場に遣わされる前に、神学校でエリヤハウススクールの学びと訓練を受けていたならいくつかの失敗は防げただとうと思っています。

 聖書からの解き明かしもすばらしかったですが、特にスクールでのグループタイムは、まさに実践的なトレーニングでした。そのトレーニングは、今の牧会に直接役立っています。グループタイムを大切にしていることは、エリヤハウススクールの特徴といえるでしょう。そこでは私自身も取り扱われながら、他の人のミニストリーをさせていただきました。それによって、ただ自分のための一回限りのセミナーのようなものではなく、他の人々のために、また互いのためにミニストリーを行う者としての訓練をしていただけました。特にスモールグループのリーダーを担当させていただいた時のリーダーのミーティングでは、ミニストリーの実際についてファシリテーターの先生からすばらしい導きをいただけましたので特に感謝でした。

 エリヤハウスの恵みを実感した私は、なんとしても牧会している赤磐教会にエリヤハウススクールの恵みを紹介したいと思いました。赤磐教会の皆さんもスクールのすばらしさと必要性を感じてくださり、2008年から赤磐教会にて開催させていただき、最後まで学んでくださいました。この時に学んだ方々の信仰の質的向上は誰もが認めるところです。特にセルリーダーの姉妹たちは、人間関係がその人の表面的な問題から来ているのではなく、心の深いところから来ていることを熟知しましたので、今では優秀な牧会的配慮ができるリーダーへと成長しています。教会内の祈りのミニストリーは、リーダーたちがしてくれますので、私がする必要が無いほどです。

 そこで、私は教誨師をしている刑務所で、洗礼を受けた受刑者の方々に対して祈りのミニストリーを試みています。私が遣わされている刑務所は、8年以上の有期懲役から無期懲役までの男性受刑者が収容されています。この刑務所のもうひとつの特徴は、受刑者は初犯で犯罪傾向の低い人たちということがあげられます。初犯で大変重い犯罪を犯してしまった人たちですが、更生意欲も強い人たちです。彼らと個人的に接するときに、その犯した犯罪の内容や、彼らの生い立ちに触れることになります。その時、彼らの心の傷から来る人間関係の問題や、生活習慣が見えてきます。エリヤハウスの真理を学んだものからすれば、彼らにそのような心の傷が無ければ、おそらく刑務所の中に入ることは無かっただろうと想像できるのです。しかし、すでに犯した罪は消すことはできません。そこで、同じ過ちが繰り返されないように、刑務所にいる間に、祈りのミニストリーを通して全人格的な更生が導かれればと労しているところです。一ヶ月に一度しか会えませんので、連続性を保つことが難しく苦労しています。また、認識を深めることはできるのですが、悔い改めや赦しの段階でとまってしまうことが多いです。お祈りによって応援していただけますよう、お願いします。
赤磐教会 額田浩