失望と平安

あなたは、自分の人生にがっかりしていますか?私は、最近そのような人にたくさん出会いました。いろいろな経験から、私は、時々神は、私たちの人生に失望が来ることを許される、失望の元となっている土台(根)を取り扱うまで、ということを発見しました。失望の元になっている土台(根)とは、しばしば、聖徒として英雄になる姿を追い求めて必死に努力することです。 もし、私が最も愛あふれた父親、母親、最もしっかりした夫や理解して支える妻、主にあって素晴らしく用いられる働き人、そのようなヒーロー的な歩みをする男性、女性になれたなら...しかし、何年も必死で努力し、苦労してきたが、まだそこには届かない...。

良い伴侶になろうと努力してきたけれども、理想の結婚には到底届かないことに希望を失ってしまっていませんか?英雄になることは横において、真にあなたが自分に問わなければいけないことは、「あなたは自分のできる限りの力で最善をつくしてきましたか?」ということではありませんか?

ルカ21章のやもめは、自分が今まで一度も、英雄的な額を宮に捧げることができないことで、希望をなくしていたに違いありません。(彼女が、そこに希望を置いていたならですが)けれども、やもめは、レプタ2枚を持っていました。それが、彼女の持っているものの100%、すべてでした。イエス様にとって、それは十分なものでした。あなたは、自分の子供たちにとって良い模範になりたいと夢見てきましたか?しかし、今だに自分の子供時代の傷に支配されて、沈滞状態で、そこから抜け出せないでいますか?

「 あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える。」イザヤ54:13(口語訳)

あなたのミニストリーは、神があなたに与えてくださったビジョンをまだ達成していませんか?もし、あなたが自分の最善を尽くしてきたなら、神は喜んでおられます。あなたは、何かの中毒と何年も戦って苦労してきましたか?でも、まだそこから抜け出せなくて戦っていますか?もし、あなたが100%出して、出そうとして戦ってきたのなら、その努力はそれで十分です。

「進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。」
                                       2コリント8:12(新共同訳)
あなたの心に平安が訪れるのは、自分の戦いを勝利することによって得られるものではありません。それは、神があなたの信頼を勝ち得た時に、そしてあなたが自分の達成したことによってではなく、神があなたの従順を賞賛してくださることで安息に入ることによって、得られるものです。

マーク・サンフォード エリヤハウスブログ Jul 29th, 2013より抜粋