*証し:Jesus made whole well イエスはわたし全体を

"Jesus made whole well" 日本語の聖書では、イエス様がいやされたとなるのですが、直訳するとその人「全体を良く/回復してくださった」となります。まさに、エリヤハウスのスクールを再受講した時に、わたし全体をと言ってもいいほど主が変えてくださった経験をしたのです。

これまでスクールのグループタイムで、数多くの祈りのミニストリーを受けてきましたが、この時は今までになく気楽な気持ちで、わたしが祈ってもらいたいことを話し出すことができました。幼稚園の頃、母がノイローゼ状態でそれまでの母とすっかり違って見えました。
それから、以前の母が理想化され、それしか見えてこず、現実の姿を否定する毎日でした。2年後父が死に、わたしは父の代わりに、母の夫のようにならなくてはとやってみましたが、挫折せざるを得ませんでした。
 
 グループの祈りのミニストリーで、祈り手の方から、その決定的な時はいつだったのと聞かれて、突然、中学一年の頃のことを思い出しました。母と京都に行ったときに、思いがけなく若い男性がそこにいました。その人が母と親しくしているのを見て、声にならない叫びを小さなわたしがふり絞っていたんです。『ブリキの太鼓』という映画で、小さな子供が叫んでその叫び声でガラスを割ったように。
 その時、叫んだ言葉がよみがえってきました。それまで心の中に永く封印していたので、すっかり忘れてしまいました。今は聞こえます。『オトナになりたくない』と内なる誓いをしたのと同時に、『大人になることができないじゃないか』という苦い根の期待が迫って来ました。そうして、グループの皆からミニストリーを受けました。

[悪い実]
実際、中学一年の時から母に対しての反抗期が始まり、まず勉強はさぼって、教科書は学校に置いたまま...どんなことでも何かしら成果があらわれてきそうになったら、急いで止めてしまうという繰り返しでした。詩や難解な文学、哲学にかろうじて興味を持ち続けたのは、それが将来何の役にたちそうにもないからでした。
 就職してからは、子供らしさは残しながら、仕事を覚えるのに夢中で職域も広がったのですが、仕事外にも、好きだった美術や音楽などのコーディネートも手掛けるようになりました。今考えて見ると、習熟してオトナにならないようにブレーキをかけていたようです。
 そんな調子ですから、本当に何をやりたいのか分からなくなって、鬱状態になり、その時イエス様に出会いました。その数年後、もとの放送の仕事に戻り福音の宣教の働きをして来ました。ここでも人から評価を受けるようなことがあると、理由もなく止めてしまいたいと思い、実際そうしたこともあります。成熟するのを恐れるあまりに60を過ぎてもいっこうに代わり映えしないままに... 悪しき実そのものでした。

[そして今は]
祈りのミニストリーを受け、その悪い実の根に触れられて、いやされたことがわかりました。それと同時に、母への長き反抗期が終わりました。母に赦しを乞い、今は和解の道を進んでいます。
  再受講のスクールが始まる一週間前に、近隣トラブルがピークとなり、二日続いて警察沙汰に。翌日からは教会を避け所にし、スクールを続けました。借りる上で保証人が見つからず途方にくれた時もありましたが、スクールの終わる数日前に引越しを済ますことができました。想像したこともない位のとても良い住まいです。主はわたしの環境にも配慮してくださいました。

聖書で「石が叫ぶように」とあるように、かつて「石の心」を持った小さなわたしが、今はオトナになりたいと思えるようになりました。この他にも主がなしてくださったことは、多くあるのですが、今は聖霊様と語り合った時の言葉で終わりたいと思います。『何も持ってないようで、すべてを持っている。上手くいってないようで、すべて よし!と感謝できる』
                        滋賀県H.Tスクール再受講生

サナギの季節 

先日、夢を見ました。巨大なチョウの幼虫が葉の上でうごめき続け、それを家族が眺めているのです。変な夢だなと思いながら、その晩、祈りのミニストリーを受けました。聖霊様に聞く中、私はこれまで「神様、これくらいのことは一人でやります」と言っては神には聞かずに自分で考え、もっと大きな事も「今度も自分でできます」と言っていつまでも「神様どうしましょう?」とかしらなるキリストに相談せずに神の座に座り続けていた大きな罪に気づかされました。周りの人々も私を見て「どうせ言っても変わらないだろう」と嘆いている状況です。涙ながらにこの罪を告白し、こんな私を赦してくださった主イエスの十字架の血潮による赦しを受け取りました。すると聖霊様が夢の意味を解き明かしてくださったのです。幼虫は他でもない私自身でした。葉っぱの上の事柄は自分で全部やります!と言って、チョウである天の父の指図を受けようとしない私。サナギになって造り変えられるのを避け、巨大な幼虫の王様になろうと誇っている愚かな私。でも天の父は優しく「動くのをやめて祈り、造り変えられるのを待ってごらん」と語られます。力を抜いて素直に従い、サナギの季節を経ると・・・気づいたら私はチョウになって自由に空を羽ばたいているではありませんか。「御霊により内なる人を変革」(エペソ3:16)してくださる神をほめたたえます!
横浜ニューライフバプテスト教会 田坂元彦牧師

過去の傷

We cannnot change the past- but we can erase its sting so that the failures of yesterday do not permieate our response and reaction for today and the future.・・・・Yes,Yesterday's failures are juist a temporary blemish waiting to be removed by the wood cross and the blood of Jesus. By James W. Goll

「私たちは過去を変えることはできません。− しかし、その棘を抜くことはできます。すなわち、昨日の過ち、失敗が今日と将来の私の行動や反応に影響を及ぼすことがないように。私たちは、昨日の失敗や過ちに縛られるべきではありません。.....昨日の過ちは、単なる一時的な傷であって、イエス・キリストの血潮と荒削りの十字架によって、取り除かれるのを待っているのです。」ジェームズ・ゴール「365−Day Personal Prayer Guide」より

過去の傷や過ちのゆえに、あなたの今の行動、考え方や生き方が影響されているとしたら、また父なる神様の声を聞き、親密な関係をもつことの妨げになっているとしたら、その棘と影響が、何であるかを主があなたに明らかにしてくださいますように。

その傷にゆえに信じた偽りや内なる誓い、習慣をイエス・キリストの十字架につけて死なせ、新しい復活の命を頂いて、その棘を抜いて頂きましょう。

その傷がいやされ、あなたの本来の自分、生き方や賜物が取り戻され、生かされますように。父なる神さまの御声を毎日聞き、さらに親密な関係がもてるようになりますようにと祈ります。

祝福された体験セミナーin横浜


9月21日(日)横浜ニューライフバプテスト教会においてエリヤハウスの体験セミナーが行われました。
2回の礼拝時にエリヤハウスの教えからメッセージをさせていただきました。参加者の方々の熱心なまなざしを感じました。
午後のセミナーもすでにエリヤハウスの学びを受けられた方々や初めてエリヤハウスの学びを受けられる方々も多く参加されていました。
また、こちらで用意してきた販売用の書籍も多くの方が購入されて行きました。
セミナ―後のミニストリーも主が各人に触れておられました。セミナーを祝福して下さった主に感謝します。
このセミナーのためにお祈りくださった方々に感謝します。記:三浦

〜 基礎講座ミニストリーを受けて  〜

 第一セッションでの「あなたの父と母を敬え・・・」のみことばは、十分に傷ついている自分にとって受け入れたくない、やり過ごしてしまいたいと思ってきたことばでしたが、これが神様の第一の戒めであり約束を伴ったものであると語られた時に、従おうと心を決めました。
 また「裁いてはいけない」のみことばからも、親を裁いて怒りを溜めていたままでは神様を真に知ることはできないのだと気付かされ、癒されたい赦されたいと思いました。

 2人の祈り手が祈ってくださり、自分が本当に受け取りたい聞きたいと求め続けていたことばが2人を通して祈られ、自分の心にぽっかり空いていた穴を埋めてくれました。幼いときの辛さをもう思い出さなくていいんだよと言われて、慰めされ平安を持つことが出来ました。

 思い出す一番つらかった光景に怒りに燃えていたことが思い起こされ、「親なんか敬うものか!!」と誓っていたことを思い出しました。
 母親が自分に目を向けてくれず一人ぼっちだったこと、みにくい子と言われたことを信じていて、ずっと自分はみにくいと思い込み、両親に好かれない価値のない子、だからどこに行っても大事にしてくれる人はいないと思っていた特に若い頃は、本当に辛かったです。

 そのようなことを具体的にひとつひとつ告白し、手放し、赦して赦されることができました。祈り手の人たちにもたくさん祈ってもらいました。
 両親を敬っていなかったことが、自分と神様の関係に大きく影響していたことを実感しました。

 天のお父様と呼べなかった自分が呼べるようになった、神様との正しい関係をスタートできたことを嬉しく感謝します。

(東京都・K)
                                  

〜修了生による基礎講座が開かれました


基礎講座の話を聞いたとき、 “やりたい!”と思いました。と同時に“私にできるのか?”という恐れもありました。でも、その時にピリピ2:13の御言葉が浮かび、“これは神様が、私に、やりたい、という気持ちを与えて下さったのだ。”と思いました。その後、何度か恐れの気持ちが湧いてきましたが、そのたびにこの御言葉を思い出していました。

はじめ、3月に日程を組みましたが、いろいろな事情で、講座を始めることができませんでした。その時は、何かしらのさせたくない力が働いて邪魔が入るのだと思っていましたが、ある時、「私の時と神の時は違います。信仰は自分の時に動くことではありません。神の時に神の方法で動くのです。」という本に書かれた言葉が私の心にスーっと入ってきました。事務的に動いていた自分を悔い改めました。“どうぞ、神様の時に神様の方法で動いてください。”という思いに変えられました。

そして5月。基礎講座が始まりました。“今回は神様に尋ねて決めたので大丈夫。”という安心と“大丈夫かな。”という少しの不安感の間で心はゆれていました。そういう時に、エリヤハウスのチームの方に、「チームみんなで、祈っていますよ。」と声をかけていただき、とても力づけられました。
参加者はお子さんのおられる方ばかりでしたので、子供達が保育園や学校に行っている平日の午前中〜午後2時半ごろまで、という日程で行いました。エリヤハウスのビデオは、修了生の私にとって、良い復習となりました。ミニストリーは、チームの方が一緒にいてくださるので、安心して臨むことができました。その中で、受講された方の心が解放され、表情も明るくなっていかれるのを見せていただき、とても励まされました。普段はなかなかミニストリーをする機会もないのですが、経験できたこともよかったと思います。

この基礎講座が終わった後の帰り道、神様がとても喜んでおられるのが心に伝わってきました。

大津バプテスト教会 M・F

回復の道の備え

私が牧師として教会に仕える中で課題として感じていたことは、救われたクリスチャンが様々な理由で教会を去って行かれることと、依然としていやされていないかのように見えることでした。そのような思いの中にいた時に、エリヤハウスを紹介され、私は奈良での祈りのミニストリースクールに導かれました。でも、そこでは“自分自身”がまだまだ多くのいやしを必要としていることが明らかになったわけですが、その出来事についてお証しさせていただきたいと思います。

 スクールでの、あるグループタイムの時に、私は祈る側の役割を担当していました。私は、自分が祈るべき方のお話を聞いている内に、何と私自身の涙が止まらなくなってしまったのです。それも、ハラリハラリと流す涙ならまだしも、まさに号泣してしまっているのです。ですから、もちろん祈りに導くことも出来ません。「恥ずかしい。みっともない」そんな思いの中で、しかし涙を止めることも出来ず、グループ全体も困ってしまっていました。結局、その時にやって来られたファシリテーターの先生に、そのミニストリーをお委ねすることになったのですが、そこで私自身が祈られる中で、ある一つの思い出が甦ってきました。それは小さな頃に見た覚えのある、日付に丸印が書き込まれたカレンダーの光景でした。

 私は小さな頃に泣き虫で、毎日、それはもう本当に些細なことで泣いていたのですが、私があまりに毎日泣くものですから、母が“耕史が泣いた日”として丸を付けていたのです。そのカレンダーが鮮やかに見えたのです。私は小学4年生のあの日、母に「男が泣くことはみっともないこと」と言われたことを受け止めて、「もう泣かない」と堅く誓ったことを思い出しました。それ以来人前で涙を流すことはほとんど無くなった私でしたが、聖霊様はそこを取り扱いたかったのでしょう。そして、後日“内なる誓いと石の心”の講義を学びましたが、その石の心がもたらす悪影響を知ってびっくりしました。まさしく自分そのものだったからです。けれど、その悪影響をすでに家族の中に、また教会にも与えていたことに気付かされたことは、辛いことでした。

 しかし、確かに回復の道が備えられていることを神様に感謝します。今後さらにエリヤハウスの働きが用いられ、家族や教会が回復し、主の栄光が現されますようにと願っています。

 名古屋グレイスキリスト教会 牧師 藤田耕史

神の愛を実感
祈りのミニストリービデオスクールを開講して

 私がエリヤハウスと出会いましたのは、2004年7月でした。本郷台キリスト教会の月井先生から、「小グループを導入するなら、いやしのプログラムを持つ必要がある。ぜひ、エリヤハウス祈りのミニストリースクールを受講すると良い」と勧められ、片柳福音自由教会で受講することになりました。クラスの内容は具体的でとてもわかりやすく、私の心にどんどん入ってきました。しかし、グループタイムでの実践が難しく、もやもやしたままWeek1を終了しました。

  間もなく、そのもやもやした思いから解放される時が訪れました。教会見学に行った手稲キリスト教会(現グレースコミュニティ)で、祈りのミニストリーをしていただく機会に恵まれました。その時の私の課題は、「リーダーシップを大胆に取れない」というものでした。祈りのミニストリーの中で、末っ子の私と3人の兄たちとの関係をお話ししました。十分に話を聞いて下さった後で、祈り手の方が、「弘さんは、リーダーシップを取りたかったんですか」と聞かれました。私が「そうかもしれません」と答えると、これまでずっと我慢してきたものが一気に噴き出てきて、涙が止まらなくなってしまいました。ひとしきり泣いた後で、「リーダーシップを取ってはいけない」という誓いを立てていたことを悔い改めました。「弘さんのリーダーシップを祝福して下さい」と祈っていただいた時には、うれしくてまた泣けてしまいました。この時、心のいやしと解放を与えてくれる祈りのミニストリーの素晴らしさと、信徒の方のこのような働きに感動を覚えました。

 その後のスクールで、両親との問題、権威の問題、拒絶の問題等、多くの問題を取り扱っていただきました。また、家内もスクールの学びを終了し、二人で祈りのミニストリーに当たるようになりました。しかしながら、私たちの働きが忙しくなり、皆で手分けしていかないと、必要が満たしきれないという事態が起こってきました。働きの広がりのためにも、教会員に理解を深めてもらうためにも、思い切って祈りのミニストリービデオスクールを開講しようということになりました。 当初、「十分な人数が集まるだろうか」、「メンバーたちが一週間も時間をあけることができるだろうか」、「私たちにできるだろうか」等々の心配がありました。
 
しかし、神様は、私たちの祈りに答えて、学びを必要としている人たちをお送り下さり、スクールを祝福して下さいました。Week1では、少し堅かったスクール生同士の交わりが、Week2では互いに打ち解け、神様に素直に心を開くことができるようになりました。人の前で泣くことのできなかった人が素直に感情を表して泣くことができ、人に対して心を開けないでいた人が心を開き、神の愛を実感できなかった人が神の愛を実感できるようになるという様々な恵みに預かることができました。スクールを開かせて下さった神様に心から感謝しています。また、私たちの教会が、少しは他の教会のお役に立つことができましたことにも感謝しています。今後、Week4まで開講でき、信徒の祈り手が生み出されるなら、これ以上の喜びはありません。続いて、私たちのスクールのためにお祈り下さい。
桐生キリスト教会牧師 杉崎 弘

祈りのミニストリーによる主の恵み

 私も6年ほど前にエリヤハウススクールを受講しました。そのスクールをとおして、今まで読んではいても、その深い意味に届くことがなかった多くのみ言葉が解き明かされ、目が開かれた思いでした。もっとも、受講前の心と霊の備えとして紹介された推薦図書の「内なる人の変革」(サンフォード師著)を読ませていただいた時にも、私にとっての謎がいくつも解き明かされました。信仰生活をおくる上で、また牧師として教会を牧会する中で、うまくいかない場合にその原因がどこにあるのか、そしてそれはどのように解決すべきかが的確に教えられていることに驚きを覚えたほどです。現場に遣わされる前に、神学校でエリヤハウススクールの学びと訓練を受けていたならいくつかの失敗は防げただとうと思っています。

 聖書からの解き明かしもすばらしかったですが、特にスクールでのグループタイムは、まさに実践的なトレーニングでした。そのトレーニングは、今の牧会に直接役立っています。グループタイムを大切にしていることは、エリヤハウススクールの特徴といえるでしょう。そこでは私自身も取り扱われながら、他の人のミニストリーをさせていただきました。それによって、ただ自分のための一回限りのセミナーのようなものではなく、他の人々のために、また互いのためにミニストリーを行う者としての訓練をしていただけました。特にスモールグループのリーダーを担当させていただいた時のリーダーのミーティングでは、ミニストリーの実際についてファシリテーターの先生からすばらしい導きをいただけましたので特に感謝でした。

 エリヤハウスの恵みを実感した私は、なんとしても牧会している赤磐教会にエリヤハウススクールの恵みを紹介したいと思いました。赤磐教会の皆さんもスクールのすばらしさと必要性を感じてくださり、2008年から赤磐教会にて開催させていただき、最後まで学んでくださいました。この時に学んだ方々の信仰の質的向上は誰もが認めるところです。特にセルリーダーの姉妹たちは、人間関係がその人の表面的な問題から来ているのではなく、心の深いところから来ていることを熟知しましたので、今では優秀な牧会的配慮ができるリーダーへと成長しています。教会内の祈りのミニストリーは、リーダーたちがしてくれますので、私がする必要が無いほどです。

 そこで、私は教誨師をしている刑務所で、洗礼を受けた受刑者の方々に対して祈りのミニストリーを試みています。私が遣わされている刑務所は、8年以上の有期懲役から無期懲役までの男性受刑者が収容されています。この刑務所のもうひとつの特徴は、受刑者は初犯で犯罪傾向の低い人たちということがあげられます。初犯で大変重い犯罪を犯してしまった人たちですが、更生意欲も強い人たちです。彼らと個人的に接するときに、その犯した犯罪の内容や、彼らの生い立ちに触れることになります。その時、彼らの心の傷から来る人間関係の問題や、生活習慣が見えてきます。エリヤハウスの真理を学んだものからすれば、彼らにそのような心の傷が無ければ、おそらく刑務所の中に入ることは無かっただろうと想像できるのです。しかし、すでに犯した罪は消すことはできません。そこで、同じ過ちが繰り返されないように、刑務所にいる間に、祈りのミニストリーを通して全人格的な更生が導かれればと労しているところです。一ヶ月に一度しか会えませんので、連続性を保つことが難しく苦労しています。また、認識を深めることはできるのですが、悔い改めや赦しの段階でとまってしまうことが多いです。お祈りによって応援していただけますよう、お願いします。
赤磐教会 額田浩